短冊に願い事を…(7/10)
入院した友人を見舞いに病院へ行ってきた。
ちょうど七夕時期のためか、笹の木(人工だったが)に短冊が掛けられていた。
なんとなく短冊を手にとって読んでみたら…絶句した。
ほとんどの短冊が「健康」について描かれているもので、
やはり病院なのだと痛感させられた。
そして絶句したのは、その健康度合いに対して。
「もう一度、みんなで散歩できますように」
「また一緒に外を歩けますように」
…泣けた。
当たり前のように存在する「健康」を日々軽視している自分がいた。
といってもわたしも病院に通院しており、完全な健康とは言えないものの、
それでも明日が来るだろうという予測はなんとか達している。
もう外へ出ることが叶わず、それでももう一度外へ…というのは哀しい。
普段何気に外へ出ている自分が恥ずかしい。生きる感謝が足らないと感じた。
その短冊を書いた人が、どの病棟の人なのかはわからない。
その人のために自分ができることは、精一杯今を生きることだ。
仕事の愚痴を言うよりも、今生きている感謝の言葉を言うべきだ。
友人を元気づけに行ったのに、逆に生きる勇気をもらった。
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ちょうど七夕時期のためか、笹の木(人工だったが)に短冊が掛けられていた。
なんとなく短冊を手にとって読んでみたら…絶句した。
ほとんどの短冊が「健康」について描かれているもので、
やはり病院なのだと痛感させられた。
そして絶句したのは、その健康度合いに対して。
「もう一度、みんなで散歩できますように」
「また一緒に外を歩けますように」
…泣けた。
当たり前のように存在する「健康」を日々軽視している自分がいた。
といってもわたしも病院に通院しており、完全な健康とは言えないものの、
それでも明日が来るだろうという予測はなんとか達している。
もう外へ出ることが叶わず、それでももう一度外へ…というのは哀しい。
普段何気に外へ出ている自分が恥ずかしい。生きる感謝が足らないと感じた。
その短冊を書いた人が、どの病棟の人なのかはわからない。
その人のために自分ができることは、精一杯今を生きることだ。
仕事の愚痴を言うよりも、今生きている感謝の言葉を言うべきだ。
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