「ルネッサンスの光と闇」(上巻)を読んで(6/18)
「ルネッサンスの光と闇」(上巻)(サブタイトル:芸術と精神風土)
(著者:高階秀爾)を読んでの感想です。
1987年4月に刊行されたものが2018年3月に文庫化されています。
著者の高階(たかしな)氏は、東大教授、国立西洋美術館館長を経て、
現在大原美術館館長となっています。
さて内容。
上巻だけですが、前半はルネッサンスの中心地であったフィレンツェがどういった都市であったか?
ということが、当時の歴史家の書物を通して解説されています。
後半は、ロダンの「考える人」のような彫刻や、
ボッティチェルリの「春」といった作品の背景が語られています。
「考える人」の頬杖をついた構図には、メランコリーの意味合いが込められており、
四性論という、多血質、胆汁質、粘液質、憂鬱質という四性の最後のものであるとの解釈があると。
またボッティチェルリの「春」の三美神の部分には、
それぞれの髪のなびき方、顔の向き、身につけている装飾品などなど、
実は人間の真理である部分が内包されている…という感嘆してしまう内容なども。
些細なトリビアで言えば、キューピッドはヴィーナスの息子だったとかも…へえ〜。
そもそもこの本を手に取ったのは、美術品に対する造詣を深める目的がありました。
先日行った大塚国際美術館でも、その絵画などが描かれた背景を知れたらもっと楽しめるなと、
改めて思ったところです。いずれ再訪したいと考えているルーブル美術館でも、勉強してから臨みたいと。
そんな方にはうってつけかもしれません。
割と眠くなりそうな印象を持たれるかもしれませんが、
読みやすく「へえ〜」ボタンがあったら連打したくぐらいの展開で一気読みですよ。
それでは、長い引用になりますが、当時のフィレンツェがどういった町であったのか?
について、ヴァザーリという、子供の頃からフィレンツェに育ち、
フィレンツェの町の雰囲気を知っていた方の観察を。
(引用は赤字です)
「人があらゆる芸術、特に絵画において完璧な腕を持つようになるのは、他のどこよりもフィレンツェにおいてであるが、それには、三つの理由がある。第一には批判の精神が町に満ちているので、人びとは凡庸なものに満足せず、自由な目を持ち、作品の良否をその作者の名前によってではなくそれ自身の美しさと優れた美点によって評価する気風があることである。第二には、誰にせよこの町に住もうと思う者は、勤勉で目先が利いて機転屋で、つねに知力と判断力を働かせていなければならず、またお金を稼ぐ手段を心得ていなければならないという事情がある。というのは、フィレンツェは豊饒富裕な土地を持っておらず、したがって物が沢山ある他の町のように物価が安くないからである。これらに比べて少しも劣ることのない影響力を持つ第三の理由は、あらゆる職業の人びとに強く見られる栄光と名誉への渇望である。この気風があるため、能力のある者は誰も他の者が彼と肩を並べることを好まず、たとえそれが広く巨匠として認められている人びとであっても、自分と同じように人気があったり、自分以上にもてはやされてたりするのを我慢することができない。自分自身を世に出したいというこの欲望により、人びとは、もし生まれつき賢明で親切でないならば、しばし他人に批判的で恩知らずとなる。たしかに、もし人が必要なことを学び終えた後、単に動物のように行きて行く以上に何か仕事をしてしかも富を得ようと欲するなら、彼は町を去って他国で作品を売らなければならない。それによって町の名声も広く世界に伝わることとなる…。というのは、フィレンツェという町は、芸術家たちに対してあたかも「時」と同じ作用を及ぼし、まず彼らを生み育てた後、次いで彼らを見すて、次第に消耗させてしまうからである…」(P.108-109)
…現代でも、こういった都市は思い当たりますよね。さて、その後どうなるか…
面白い記事でしたら、応援ポチしていただけるとうれしいです!
(著者:高階秀爾)を読んでの感想です。
1987年4月に刊行されたものが2018年3月に文庫化されています。
著者の高階(たかしな)氏は、東大教授、国立西洋美術館館長を経て、
現在大原美術館館長となっています。
さて内容。
上巻だけですが、前半はルネッサンスの中心地であったフィレンツェがどういった都市であったか?
ということが、当時の歴史家の書物を通して解説されています。
後半は、ロダンの「考える人」のような彫刻や、
ボッティチェルリの「春」といった作品の背景が語られています。
「考える人」の頬杖をついた構図には、メランコリーの意味合いが込められており、
四性論という、多血質、胆汁質、粘液質、憂鬱質という四性の最後のものであるとの解釈があると。
またボッティチェルリの「春」の三美神の部分には、
それぞれの髪のなびき方、顔の向き、身につけている装飾品などなど、
実は人間の真理である部分が内包されている…という感嘆してしまう内容なども。
些細なトリビアで言えば、キューピッドはヴィーナスの息子だったとかも…へえ〜。
そもそもこの本を手に取ったのは、美術品に対する造詣を深める目的がありました。
先日行った大塚国際美術館でも、その絵画などが描かれた背景を知れたらもっと楽しめるなと、
改めて思ったところです。いずれ再訪したいと考えているルーブル美術館でも、勉強してから臨みたいと。
そんな方にはうってつけかもしれません。
割と眠くなりそうな印象を持たれるかもしれませんが、
読みやすく「へえ〜」ボタンがあったら連打したくぐらいの展開で一気読みですよ。
それでは、長い引用になりますが、当時のフィレンツェがどういった町であったのか?
について、ヴァザーリという、子供の頃からフィレンツェに育ち、
フィレンツェの町の雰囲気を知っていた方の観察を。
(引用は赤字です)
「人があらゆる芸術、特に絵画において完璧な腕を持つようになるのは、他のどこよりもフィレンツェにおいてであるが、それには、三つの理由がある。第一には批判の精神が町に満ちているので、人びとは凡庸なものに満足せず、自由な目を持ち、作品の良否をその作者の名前によってではなくそれ自身の美しさと優れた美点によって評価する気風があることである。第二には、誰にせよこの町に住もうと思う者は、勤勉で目先が利いて機転屋で、つねに知力と判断力を働かせていなければならず、またお金を稼ぐ手段を心得ていなければならないという事情がある。というのは、フィレンツェは豊饒富裕な土地を持っておらず、したがって物が沢山ある他の町のように物価が安くないからである。これらに比べて少しも劣ることのない影響力を持つ第三の理由は、あらゆる職業の人びとに強く見られる栄光と名誉への渇望である。この気風があるため、能力のある者は誰も他の者が彼と肩を並べることを好まず、たとえそれが広く巨匠として認められている人びとであっても、自分と同じように人気があったり、自分以上にもてはやされてたりするのを我慢することができない。自分自身を世に出したいというこの欲望により、人びとは、もし生まれつき賢明で親切でないならば、しばし他人に批判的で恩知らずとなる。たしかに、もし人が必要なことを学び終えた後、単に動物のように行きて行く以上に何か仕事をしてしかも富を得ようと欲するなら、彼は町を去って他国で作品を売らなければならない。それによって町の名声も広く世界に伝わることとなる…。というのは、フィレンツェという町は、芸術家たちに対してあたかも「時」と同じ作用を及ぼし、まず彼らを生み育てた後、次いで彼らを見すて、次第に消耗させてしまうからである…」(P.108-109)
…現代でも、こういった都市は思い当たりますよね。さて、その後どうなるか…



面白い記事でしたら、応援ポチしていただけるとうれしいです!



スポンサーサイト